ニッポンのブーランジェ


地元で愛されるパン屋でありたい
vol.03 ヒンメル 金長 暢之氏

東京の大岡山にある「ヒンメル」というベーカリーを御存じだろうか。ドイツ語でヒンメルとは「空・天国」という意味で、店の前を通っただけでヒンメル!そんな幸せな気分にさせてくれる可愛いらしいベーカリーである。
オーナーはドイツパンを得意とする金長暢之氏である。ドイツ・デュッセルドルフで修業した経験を生かし、2008年にオープンした。大岡山駅から徒歩2分の住宅地にあるヒンメルは、地元にしっかりと根ざし、地元の人々に愛されるベーカリーとして定着している。


優しい味わいのドイツパン屋さん

青空をイメージしたというスカイブルーが目を惹くヒンメル。店名の由来は「ドイツで修業時代に住んでいた通りの名前がヒンメルだったんです。だから迷わず“ヒンメル”」と金長さん。

店内に足を踏み入れると、金長氏渾身のパンと、ドイツの可愛いおもちゃや雑貨類が出迎えてくれる。「ペンキも床のタイルも妻と2人で貼りました。いろんな店を見て回り、良いところを取り入れたんです」。金長夫妻の想いが散りばめられた店内は、温かくアットホームな雰囲気で、地元のお客様を呼び寄せる。

ドイツパンというと、重厚で固くて・酸っぱいイメージがあるが、ヒンメルのはそれとは程遠い。食べやすく優しい味わいが特長だ。「ドイツパン屋って固くて大きなパンがドーンと並んでいるイメージですが、ウチは敢えてそうはしない。その方が見た目はカッコいいけどね」。
カッコよさよりも、地元のお客様に寄り添い、喜んでいただけるパン屋を目指すというのが金長氏の信条だ。毎日の食卓の中で、自分のパンを食べていただけることが最も大切という。だからスライスして、1/2や1/4個でも販売。あくまでお客様が買いやすく、食べやすいことを優先させている。
ヒンメルは常連客が多い。住宅地ということもあるが、まさに地元に溶け込んでいる。金長氏自身も売り場に顔を出してはお客様と会話する。毎日通ってくるファンもいるほどだ。町の一員として町内会にも必ず顔を出すという。

驚きの食感「クラプフェン」

このヒンメルを有名にしているのは、「クラプフェン170円(税込)」というドーナツである。ゴツゴツしたゲンコツのような外観に「これは何?」と思うが、食べてみるとビックリ。フニュフニュもっちりで、これまで食べたことのない食感なのである。そこには金長氏のひと工夫が盛り込まれている。甘すぎないから大きくても1個ペロリと食べられてしまう。このクラプフェンはドイツの修業先でよくつくっていたと金長氏。まさにヒンメルならではのスペシャリテである。

9坪の小さな店内には約80アイテムが揃うが、ドイツパン系が3割程度で、あとはあんパン、メロンパン、サンドイッチなど地元のお客様が喜ぶパンを充実させている。

自由な発想を大切に

お薦めの商品を問うと、「ウーン」と考えながら、第1位は「ツィムト460円(税込)」を挙げた。ツィムトはドイツ語でシナモンの意味で、シナモンは勿論、レーズン、クルミなどがたっぷり。そしてなんとブラックペッパーが入っている。これがアクセントとなり、独特の味を創り出している。自分が好きだから黒胡椒を入れたというが、なんともクセになる味わいなのである。

第2位は「クロイノ1本756円(税込)、1/2本378円(税込)」。「真っ黒でスタッフの間で、あのクロイノ焼いた?と通称クロイノで通っているので、クロイノと名づけました」。口にいれるとブラックココアの香りと風味、アンズやイチジク、クルミ、ホワイトチョコのリッチな味わいで満たされる。

第3位は「チアシードのパン、1/2 520円(税込)、1/4 260円(税込)」という。最近注目されているチアシードやヒマワリ、ヘーゼルナッツ、カシューナッツがたっぷり。これらの具材を粉砕し、生地量に対し、45%も入れているというから、食べるだけで栄養満点だ。

その他、ブレッツェルやカイザーゼンメルなどのドイツパンや、食事パンが並ぶ。青とうがらしとフェタチーズが入ったツォイスシュタンゲンも独特だ。口に入れるとピリッと力強い辛さがなんとも心地よく、酒のおつまみにはピッタリ。またバナナとココナッツのシュトロイゼルクーヘンなどスイーツ系も揃う。

ここには金長氏の自由な発想と技が満載されている。こうでなければと縛られるのはイヤ、自由な発想で自分のパンを創りたいという金長氏。ヒンメルにあるのは食べる人に優しい金長流のドイツパンなのである。
オリジナリティを出すには発酵種が重要と、5年間継いでいる自家製サワー種や、自家製ルヴァンを駆使し、生地の美味しさにこだわる。基本は納得のいく生地づくりという。十数種類の生地を操り、丁寧につくりあげる。だからこそ個性溢れる味わいが生まれるのである。

独立への道

金長氏がパン屋を目指したのは27歳の時である。当時食品スーパーで働いていたが、独立を志す。「そのときは特にパン屋でなくてもよかった、独立したいという想いが先でした」。パンで独立しようと決意、仕事を辞めて埼玉の「風見鶏」の門を叩く。ここでの入社は叶わなかったが、知り合いの店「暖家」を紹介され、弟子入りする。1年半ぐらいはオーナーとたった2人という状態。マンツーマンで、パンづくりは勿論、店づくり全てを学んだ。「2人しかいなかったから、毎日が修業。スピード、効率、全てが勉強でした」。

3年間修業した後、海外で学びたいと、ワーキングホリデーを活用、ドイツ行きを決意する。「自分より妻の方が乗り気だったんです」と金長氏、夫婦二人三脚でドイツに旅立った。

時間効率を学んだドイツ時代

ドイツのデュッセルドルフに降り立った2人だが、特にコネがあったわけではなく、飛び込みで修業先を探した。そしてドイツ屈指の大型ベーカリー「ヒンケル」で修業することになる。

「ドイツ語が全くできなかったので、言葉との戦いが大変でした」と当時を振り返る金長氏。「レジ10台をフル回転、週末の売上は1日250万円という人気店でした。パン職人だけでも30人~40人はいましたね」。

このヒンケルで学んだことは“時間効率”という。パン屋だからといって長時間働くのではなく、一日8時間労働が守られていた。だからこそ限られた時間の中で、いかに集中するか。オンとオフがはっきりしていて、仕事中の集中度は半端ではなかった。そこにはケンカしても引きずらない、大人の流儀があった。

ヒンケルで2年間修業。37歳までには店を持つという目標を実現するために帰国。次の修業の場となったのが、東京・三宿のブーランジュリーラ・テールである。当時のラ・テールはそれほど有名ではなかったが、素材こだわりベーカリーの先駆けとして、注目されつつあった。ここで3年間、栄徳剛氏と共にラ・テールを切り盛りし、独立の準備に入る。

笑顔の店ヒンメル

「大岡山は初めての土地でした、でも何か閃めくものがあった」と金長氏。2008年1月、いよいよ自分の店、ヒンメルをオープンする。
ヒンメルには笑顔が溢れている。おはようございます。おつかれさまでした。スタッフは挨拶と共に、朝も帰りも互いに握手を交わす。スキンシップを重ねることで信頼感が増す。スタッフ同士のチームワークの良さが、温かくて気配りのあるベーカリーを醸成しているといえる。

道路に面したヒンメルの厨房は贅沢だ。店舗に続いているからお客様の様子が見える。10坪と手狭ではあるが、窓からは大岡山の日常風景がそのまま見える。この風景を大切にしていると金長氏。作り手も黙々と作業するのではなく、光や風を感じ、街の日常を感じながら仕事をしてもらいたいと。金長氏のこんな心遣いが商品や店づくりに現れている。

ドイツではパンは日常食。だから気張らず、気取らず毎日の食卓を大切にする。そんな日常を表現する店、それがヒンメルである。だからこそ金長氏のパンは食べやすい。生活に溶け込んだ美味しさ、これこそが金長氏が目指すパンである。

金長氏はサラリーマン出身だから人脈も広い。2014年9月には恵比寿三越に請われ、2号店を出店。昔の勤務先ナショナルスーパーなど数軒にパンを卸している。ヒンメルの売り場が少しずつ拡大しているのだ。

この6月は百貨店の催事にチャレンジ、なんとかやり遂げた。そこで人気となったのが「ラオゲンクロワッサン243円(税込)」である。クロワッサンをプレッツェル用のラオゲン液に漬け、白ごまをトッピングしたものだが、塩味と独特の風味が絶妙で、ヒット商品となりそうな予感がする。

今年43歳になる金長氏だが、理想は職人と経営者半々と語る。職人に徹することにはあこがれるが、経営もできないとオーナーは務まらない。そして今後は近くでカフェを展開したいと夢を語る。常連客がゆっくりくつろげる場所を提供、自分たちのパンを味わってもらいたいという。
地元に根付き、地元の人々に愛される「天国」づくりに励む金長夫妻。ヒンメルは、パン屋とは地元の人々のオアシスであることを証明しているようだ。

金長 暢之氏

1971年茨城県生まれ。27歳でパン職人となり、自分が好きなドイツパンを追求したいと30歳でドイツのデュッセルドルフへ渡独。帰国後、三宿の「ブーランジェリー ラ・テール 」のスーシェフを経て、2008年に大岡山に「ヒンメル」をオープン。2014年には恵比寿三越に2号店を出店している。

ヒンメル

郵便番号/145-0062
住所/東京都大田区北千束3-28-4 アンシャンテ大岡山1F
最寄駅/東急目黒線 大岡山駅
アクセス/大岡山駅より徒歩2分
電話/03-6431-0970
営業時間/7:30~19:30
定休日/火曜

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2015年8月)のものです

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