ニッポンのブーランジェ

本場仕込みの理論をベースにしたパンづくり vol.23 Boulangerie Parigot(ブーランジェリー パリゴ) 安倍 竜三氏

わずか15歳でパン職人の道を歩き始めた安倍氏。中学卒業後、日本の有名シェフを多数輩出した「ムッシュf製パン技術訓練塾」で本格的にパンづくりを学んだ。ムッシュfこと福盛幸一氏の店「青い麦」では、18歳という若さで製造責任者に抜擢。21歳でフランスへ渡り、いくつかの店で修業し、国立製菓製パン学校・INBPにて、フランスでパン屋を開業できる職業適性証のCAPと修了課程証であるBEPを取得。フランスで開催された、第1回クロワッサンコンクール入賞など、5年にわたって研鑽を積み帰国。 2005年に開業したブーランジェリーパリゴは、大阪市内の歴史と落ち着きを感じさせる上町筋沿いにあり、シンプルな外観に思わず通り過ぎてしまいそうになる。中に入るとフランス語のラジオが流れ、若手職人たちが忙しそうに売り場や厨房を行き来する。日本の食文化を意識した日本人に合うパン、小麦の風味がしっかり感じられるパンを求める常連が集う店だ。

21歳で単身フランスへ

はたちを過ぎたころ、これでいいと調子に乗っていたと笑う安倍氏。「福盛先生は、そんな私を見抜いていたのかもしれません。3ヵ月の予定でフランスへ行かされました」
日本びいきで知られ、バゲット・レトロをつくり出したジェラール・ムニエ氏のもとで2年間働いた。仕事は深夜1時から朝9時まで。いったん帰って、国立製粉学校の研究所へ。3時ごろに終わって語学学校へ行くのだが、居眠りばかりしていたという。
国立製粉学校研究所は、フランス中から小麦が集まってくるところ。それらの粉をパンにする部門を手伝っていた安倍氏。「日本とフランスでは粉のひき方も、考え方もまるで違いました」ここでの経験が安倍氏のその後を左右する。

パン職人の真骨頂は小麦粉選び

フランスで考え方が180度変わったという安倍氏。生地の発酵のさせ方、熟成温度など、新しい発見の連続だった。日本では仕上がりのよさを意識してクープを入れるが、フランスではパンのボリュームと内相を考えて、いろいろなクープの入れ方をする。フランスで勉強する意味はこういうことか!と気付き、パンづくりが楽しくなってきたという。

日本とフランスのいちばんの違いは粉だという安倍氏。「いい粉があれば職人がすることは何もない。粉選びがいちばん重要なんです」
フランスでは、職人を育てる土壌がまったく違うことにも驚いた。職人が求めれば、いくらでも勉強できる。「私が組合活動や講師を引き受けているのは、日本でももっと勉強する機会を増やしたいと考えてのことです」
フランスはヨーロッパの中でも手仕事を尊重する国。街にはたくさんのパン屋があり、知識レベルの高い職人が活躍している。「今でも条件が許せば、フランスでパン屋をやってみたいですね」

MOF(国家最優秀職人章)のティェリー・ムニエ氏の店など、勉強したいと思った店をすべてまわり終え、日本へ戻った。

偶然だったパンとの出会い

安倍氏の実家は京都、代々医者の家系である。子どものころは当然、自分も医者になれるものだと思っていた。中高一貫の進学校に合格し、毎日約1時間かけて通学するが、途中には多感な少年を魅了する誘惑がいっぱい。遊び過ぎたツケがまわって、中1で早くも単位が足りず、公立の中学校に転校する。
しかし一度覚えた遊びはとどまることを知らず、中3の9月に両親に香川県にある更正施設に行かされ、ユンボやトラクターに乗って農作業をしていた。やがて施設内に、職業訓練の一貫にとパン工場ができた。「14歳の私はここに配属されて、毎日パンを焼くようになりました。これがパンとの出会いですね」
パンの道に進もうと思ったのは、指導に来ていたコンサルタントの給料を聞いたとき。「大人の給料の相場を知らないから、パン職人になれば儲かるんだ」と安倍少年の夢はふくらんだ。

一流職人たちとの巡り会い

中学はなんとか卒業したが、今さら高校へ行く気もなかった安倍氏に、コンサルタントが「ムッシュf製パン技術訓練塾」を紹介してくれた。本来は実務経験が2年以上必要だったが、福盛氏自身も中卒で働き始め、同じ境遇だということで特別に入れてもらった。それまでのパンづくりの経験は、施設の工場での4ヵ月しかなかった。
2か月間の講習では、各メーカーの技術者による講義や、フランス人パティシエを招いた講義があった。一日中パンを焼き続けることもあり、製パン理論から実技までパンに関わるすべてを学んだ。同期には「たま木亭」の玉木氏、「デイジイ」の倉田氏ら豪華な面々。「同期といってもみんな年上。でも自分にとってはよかったですね。職人は厳しい世界ですが、一人前になるまではやろう!と思いました」と安倍氏。
塾修了後、就職先に選んだのは厳しいと評判だった「ビゴの店」。「厳しいところでやらないと一人前になれない」という思いからだった。

厳しくて温かかった2人の恩人

ビゴで働き始めて1~2年後に、両親に「高校に入り直せ」と言われたが、仕事がおもしろかったのでそのまま働き続けた。「特に意識が高かったわけじゃない。ただなんとなく流されてただけ」と安倍氏は言うが、店での修業は想像を超えるものだった。「ビゴでは気を抜いていたら、すごく叱られました。本気でやる人が多い店で、あの厳しさに耐えたから今の自分があると思います。ビゴでは3年働きました」当時の先輩たちとは、今も付き合いが続いている。

製パン塾での師匠・福盛氏が店を始めるということで「ブレッドファクトリー」へ転職。その後「青い麦」を経て「麦の花」へ。麦の花では「ボンヴィボン」の児玉氏とともに働いた。「自分は人との巡り合わせがよかったと思います。20代のころに、意識の高い人たちと一緒に仕事をしていたんですから」
ビゴ氏と福盛氏を見ていて「こんな自由奔放な大人が通用するのか」と感じたが、「厳しい人は愛情を持っている」とも。ビゴ氏はフランスで勉強している間も、安倍氏が働いている店に顔を出すなど、気にかけてくれたそうだ。

フランスで得たものを後進にも伝えたい

パリゴの人気メニューは、バゲットや食パンなどの食事パン。「バゲット・ド・トラディション260円(税抜)」は、生地のひきが強く、小麦粉の風味や甘みが感じられる。「天白食パン310円(税抜)」は、自家培養酵母と国産小麦を使用。粉の甘みともっちりした食感が評判だ。馬蹄形のフォルムがユニークな「オリーブとチェダーチーズのフーガセット190円(税抜)」は、生地に混ぜ込んだチーズとオリーブの風味が食欲をそそる。

「私も自分の師匠たちのように厳しいと思います」と語る安倍氏が弟子に伝えているのは、美味しいパンをつくるだけでなく、仕事として成立させるために、早くいいものをつくる技術と売る能力。パン屋は数百円のものをたくさん売らないと儲けが出ない。スタッフには「この作業は何時までに終わらせる」といった意識を持たせている。
「仕事に対する考え方はジェラール・ムニエさんに教わりました。人の口に入るものをつくるのだから、いい加減なことはできません」

パン職人の地位向上を目指す

二度にわたってモンディアル・デュ・パンの日本代表を務めた安倍氏。フランスで教えを請うたティェリー・ムニエ氏の「コンテストに出場する目的は、いろんな人との出会い。コンテストに参加する人は目的意識が高い」という言葉に影響されてのことだ。

安倍氏の今後の目標は、世界のパン職人と触れあって、良いものを日本に取り入れること。さらにパン職人の地位向上も視野に入れている。日本ではオールスクラッチで、職人としての人生を終われる人は少ない。安倍氏が副理事長を務めるリテイルベーカリー共同組合の会員は、現在100軒余り。フランスでは2万6000軒と大きな違いがある。「長い道のりだと思いますが、組合をしっかりさせて、リテイルベーカリー共同の利益を追求していきたいと思います」

中学で遊びの味を覚えた少年が、偶然パンに出会い、すばらしい職人たちに導かれ、今では業界の将来を考えている。すでに30年近い経験を持つ、凄腕シェフの今後から目が離せない。

安倍 竜三氏

1976年、京都生まれ。14歳のとき、職業訓練の一貫としてパンづくりに出会う。中学卒業後、福盛幸一氏に師事した後、ビゴの店で修業。1998年21歳でフランスへ渡り、国立製菓製パン学校・INBPなどで本格的にパンづくりを学ぶ。5年間の滞在を経て帰国。2005年に独立し、ブーランジェリーパリゴを開業。2011・2013年のモンディアル・デュ・パンの日本代表。アンバサドール・デュ・パン・ド・ジャポンの副会長、リテイルベーカリー協同組合の副理事長など役職多数。

Boulangerie Parigot(ブーランジェリー パリゴ)

郵便番号/543-0001
住所/大阪府大阪市天王寺区上本町9-3-4
最寄駅/大阪市営地下鉄「四天王寺前夕陽ケ丘」駅
アクセス/四天王寺前夕陽ケ丘駅より徒歩6分
電話/06-6774-5087
営業時間/7:30~20:00
定休日/月曜、第1・3火曜

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2018年2月)のものです

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