竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-対談vol.16 今までにない新しいパンを世の中へ~志賀流スペシャリテ発想の源を探る~

「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」、今回は東京都世田谷区の「Signifiant Signifie」のシェフを務める志賀勝栄さんとの対談が実現しました。志賀さんと竹谷さんが出会ったのは今から40年近く前の事。現在に至るまでに志賀さんが経験したこと、パン作りに対する想いをお二人に語っていただきました。

前編 後編

パン職人という仕事をはじめたきっかけ



竹谷
 今日はお時間いただきありがとうございます。志賀さんと初めて会ったのは、20代の頃でしたね。じっくりお話しさせていただけるのを楽しみにしていました。
志賀
 こちらこそお話しできる機会をいただきありがとうございます。
竹谷
 さっそくですが、パン職人になったきっかけを教えてください。
志賀
 実は特にパンに対する強い思い入れがあったという訳ではないんです。就職を考えた時に大学浪人時代に食べていたバゲットがおいしかったことを思い出し、パン職人ならできるかもしれないと思ったことがきっかけでした。
竹谷
 最初に就職したのはどちらですか?
志賀
 (株)アートコーヒーに就職しました。この会社では福田さんという上司に12年間お世話になりました。本当に毎日怒られていましたね。
竹谷
 私も福田さんは存じ上げていますが、パン作りに厳しい方でしたね。次に勤めたのはどちらですか?
志賀
 代官山の「カフェ・アルトファゴス」でシェフ・ブーランジェを務めました。
竹谷
 「カフェ・アルトファゴス」に移った頃から志賀さんは変わったなと思いました。どんな職場でしたか?
志賀
 そうですね。いろいろな刺激をもらえた職場だったと思います。ブランドの立ち上げから関わっていたので、1年間は大変でした。しかしここで新しいブランドを作り上げる楽しさを発見できました。自分にぴったりの職場でしたね。

「イタリア」というテーマを選んだ2号店



竹谷
 その後(株)ユーハイムで「パティスリー・ペルティエ」(東京・赤坂)シェフ・ブーランジェ、「ユーハイム・ディー・マイスター丸ビル店」(東京・丸の内)シェフ・ベッカーを経験していますね。
志賀
 はい、その後「フォートナム・アンド・メイソン」(東京・日本橋など)シェフ・ブーランジェも務めて、2006年10月にこのお店をオープンしました。ユーハイム時代に出会ったパティシエの方々との出会いもいい刺激になりました。
竹谷
 志賀さんは独創的なパンを次々に出していますよね。創作意欲に毎回驚かされます。そういった発想力はどこで培われましたか?
志賀
 「カフェ・アルトファゴス」時代ですね。直属の上司が料理人だったというのが、一番大きかったと思います。「その日仕入れた素材を活かした料理をその日に出す」という考え方は料理人としては当たり前ですが、パン屋さんにはなかなかできないことです。
竹谷
 では料理人さんやパティシエとの出会いからこの独創的なパンが生まれているんですね。
志賀
 はい。今の考え方が出来るようになったのはこの頃の経験のおかげですね。とてもいい経験をさせていただきました。今でも料理人やパティシエの方たちとの繋がりも多いですよ。お互いに意見交換をしています。
前編 後編
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