竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-対談 「街のパン屋」であり続けたい~新天地・故郷の熊本へ向けて~
TENDREMENT(タンドルマン) 渡辺 裕之さん

「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」。今回は、福岡の人気店「TENDREMENT(タンドルマン)」のオーナーシェフ・渡辺裕之氏にお話を伺いました。2017年3月に熊本県への移転を予定している「TENDREMENT」。自身の出身地である熊本という新天地への期待と移転後の目標、そしてこれまで歩んできた28年間のパン職人としての道のりを教えていただきました。

前編 後編

パン職人へと導いたのは「食」への興味







竹谷
 本日はお忙しいところお時間をいただきありがとうございます。
渡辺
 こちらこそ、遠いところお越しいただき大変感謝しています。
竹谷
 早速ですが、パン職人という職業を選んだきっかけはなんでしたか?
渡辺
 私は小さい頃から「食」に興味をもっていました。母の料理をよく手伝っていましたね。そのため高校を卒業してすぐに、レストランへ就職しました。そこでは2年間ほど洋菓子やパンなどを担当。ここで初めて発酵物であるパンづくりの面白さに気がついたんです。
竹谷
 レストランの後はどちらで修業されましたか?
渡辺
 熊本市内の小さなベーカリーに就職し、2年間、色々と勉強させていただきました。そのベーカリーのオーナーに、大手製パン工場の方がもっといろいろなことを勉強できると勧められ、熊本の老舗パン工場『松石』でも3年間お世話になりましたね。
竹谷
 いろいろな経験をされているんですね。その後はどのような道を歩んだんですか?
渡辺
 『松石』での経験を経て、リテイルに戻るか悩みました。同時に都会に出てみたいという想いも芽生え、1から製パンを学びなおしてみようと再度勉強を始めました。製パン学校の存在も知っていましたが、独学で本を買いあさり、大学ノートに写して覚えていくといった勉強法を選びました。そんな中、福岡の老舗百貨店『岩田屋』のベーカリー部門の求人を見つけたんです。
竹谷
 『岩田屋』のベーカリー部門の経験もお持ちなんですね。
渡辺
 今は『岩田屋』独自のベーカリー部門はなくなってしまいましたが、当時は60名ほどのスタッフを抱える部署でした。そこでの経験は、独立の際に大変役に立ちましたね。
竹谷
 具体的にはどのようなことが役に立ちましたか?
渡辺
 『岩田屋』は、百貨店手法なので数字にはとにかく厳しく、勤務年数が経てば経つほど、製パン技術以外の勉強が多くなりました。商品の色の配分、店舗照明のルクス(照度)に至るまで、いろいろなことを学びました。当時は「パン職人なのになぜこんなことを学ばなければならないのか」と正直疑問に思うことも多かったのですが、今ではとても感謝しています。
竹谷
 大手百貨店さんの教育を受けられたというのは、とてもいい経験ですね。

レストランから百貨店まで。豊富な知識が独立の糧に



竹谷
 独立を決めたのはどうしてですか?
渡辺
 勤め始めて8年目の頃、『岩田屋』のベーカリー部門がなくなるという話があり、そのタイミングで独立しようと決心しました。準備に入ってすぐに『岩田屋』での経験が役に立ち、開業計画書などの作成はとても楽にこなすことができましたね。
竹谷
 普通のパン屋さんがとても苦労される開業準備をスムーズにこなせたのは、いいことですね。出店場所としてこの場所を選んだのはどうしてですか?
渡辺
 今まで百貨店で数を売るパン屋を経験してきたので、自分のお店ではゆっくりと自分のパンを売るお店にしたいと思いました。スケルトンで路面店という理想的な物件が見つかったので、ここに決めました。
竹谷
 駅も近くていい立地ですね。
渡辺
 実は2004年開業当時、駅はまだ完成しておらず、地下鉄の開通計画だけが決まっている状態でした。2005年に駅が完成し、少し人通りも増えましたね。

前編 後編
TOPに戻る