竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-対談vol.28 熊本地震という大きな壁を乗り越えて~仲間の支えと南阿蘇への想いとともに~
めるころ パン工房 原田 雅之さん

「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」。今回お話をお伺いしたのは、熊本県南阿蘇の人気店「めるころ パン工房」のオーナー・原田雅之さん。2016年4月に発生した熊本地震により大きな被害を受けつつも、わずか2ヶ月で営業再開までこぎ着けたといいます。周辺のどのお店よりも早く営業再開に至ったのは、南阿蘇という地を愛し、そして復興にかける原田さんの想いがあったからこそ。そんな原田さんがこれまで歩んできたパン職人という道ともに、熊本地震という災害を乗り越えた経緯について語っていただきました。

前編 後編

再開に向けて奮闘。震災からの2カ月間







竹谷
 本日はお忙しいところ、お時間いただきありがとうございます。
原田
 こちらこそありがとうございます。
竹谷
 2016年4月14日に発生した熊本地震では、「めるころ パン工房」さんも大きな被害を受けたと聞いています。実際はどのような状況でしたか?
原田
 店内の被害は、工房の窯、ホイロ、冷蔵庫など全てのものが倒れ、工房には入れない状態でした。併設の洋菓子店も被害は同じで、中に入るのも一苦労という状況でしたね。また今でも大きなダメージとなっているのは、熊本市街からの主要ルートとなっていた「阿蘇大橋」の崩落でした。現在迂回ルートになっている道も冬場は通行止めになってしまうので、冬場の営業はまだ不安が残りますね。
竹谷
 東日本大震災の際、私のお店の窯も少しズレましたが、倒れることはなかったので相当な揺れだったのでしょう。地震発生から2ヶ月で営業再開に至ったと伺いました。
原田
 はい。とにかく早く営業を再開したいと思っていました。そう思わせてくれたのは、パン業界の仲間たちの強い応援があったからですね。4月28日に行った片付けには、『ベッカライ・ブロートハイム』の明石さんや、『ブーランジェリー コシュカ』の秋元さん、『グランボワ』の高木さん、『マイピア』の大村さん、『政次郎のパン』の大島さんなど県内外のパン職人のみなさんや、県内の業者の方々など40人ほどが駆けつけてくれました。
竹谷
 たくさんの方が来てくれたんですね。
原田
 そのおかげで片付けは2日間で終わりました。片付けででたゴミも地域の人が、トラックに積んで何度も運んでくれました。それも本当に助かりましたね。
竹谷
 内装の補修作業はどのように行われたのでしょう?
原田
 まず熊本県内の業者さんにあたってみたのですが、どこも忙しく引き受けていただけませんでした。色々探しているところに、宮崎県高千穂の業者の人が、今ある仕事よりもこちらの依頼を優先的に引き受けてくださったんです。

仲間の支援で実現した南阿蘇という地への恩返し





竹谷
 たくさんの人の支援があり、営業再開へと辿りつけたんですね。
原田
 当初の目標は6月1日でしたが、少しずらし6月11日に再設定。その目標だけはクリアしようと頑張りました。開店準備の時にも、県外から若手のパン職人のみなさんが駆けつけてくれて、仕込みなどを手伝ってくれたんです。そのおかげもあって6月11日に営業を再開。7月28日には、「ロデヴの会」でイベントを開催しました。メディアなどでも紹介いただき、たくさんのお客様に来店いただきました。その時に来ていただいた方に、応援メッセージを書いていただいたんです。本当に嬉しかったですね。
竹谷
 原田さんご自身も被災地のために活動されたと伺いました。
原田
 震災が起こった2日後、熊本県菊池郡菊陽町にあるお菓子とパンの食材道具専門店「LaTa」でパンを焼き始めました。避難所生活を送る人に少しでもおいしいものを届けられればと思い、「LaTa」で焼いたパンを南阿蘇の避難所に持っていき配っていました。
竹谷
 そのような活動をしながら南阿蘇の店舗の片付けも行い、2ヶ月という短期間でここまでこぎ着けられたのは、やはりすごいことだと改めて思います。
原田
 私は結婚後すぐに南阿蘇村に住み始め、お店をオープンしてから20年間ずっとこの地にお世話になっています。お店を早く再開させることが、何よりも南阿蘇を元気づける支援になると思ったんです。そんな考えにさせてくれたのも、地域の人、そしてたくさんの支援をしていただいた仲間たちのおかげですね。
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