竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-vol.2自分の味覚と嗅覚を信じ、理想の新天地へパンのおいしさをカフェで伝えていくラ・フーガス 仁礼正男さん

前編 後編

理論や裏づけを知り真剣な考えに触れ、影響を受けたベーカリーフォーラム


 学生時代のケーキ屋のアルバイトをきっかけに、モノづくりの仕事がしたいと考えパンの道にすすみました。最初は企業のチェーンベーカリーで直営店を数店経験したのち、麹町のベーカリーで6年勤めました。当時は当たり前でしたが、技術は見て盗むものだという考えのオーナーのもと、教わるのではなく毎日しっかり作業を見て覚えました。ある日、くり抜いて作るサンドイッチの製造を託されオーナーが出掛けて行ってしまったときには相当緊張しました。見様見真似でつくりましたが、基本を教えてもらう機会がなかったので、理由がわからないままつくっていました。よく言えば自由にアレンジしていました。
 その後、世田谷梅ヶ丘のラ・フーガスの立ち上げをきっかけにベーカリーフォーラムに参加するようになりました。そこで竹谷さんから理論や裏づけを教えてもらい、気づかされることばかりでした。またベーカリーフォーラムにはブロートハイムの明石さんなど、自分よりもはるかに先輩で尊敬する方々がいらっしゃるので、その中に合流できるという嬉しさと緊張感で、ドアを開けるときはドキドキしたものです。モチベーションの高さや真剣な考えに触れると気力が湧いてくるので、皆さんも同じでしょうが寝る時間を削ってでもできるだけ参加しました。基本的には毎日お店にしばられるので情報を得られるこの会が有意義でした。
 あるテーマのとき、それぞれパンを持ち寄ることになり、自分のパンを食べてもらったときにおいしいと言われ自信になったのを覚えています。一員として認められたようで嬉しかったです。このときに築いた考え方がいまのパン作りや店作りにとても影響しています。

プチクロワッサンを作り続け、多忙だった世田谷梅ヶ丘時代

 世田谷梅ヶ丘のラ・フーガスは商店街の一角で15坪程の広さでした。厨房が10坪強で売場が5坪の割合です。ハムやアンチョビなどを刻んで入れたプチクロワッサンがヒットして、2種類ずつバリエーションを変えて提供していましたが、多いときは1日に1300個作りました。毎日プチクロワッサンを狭い厨房でスタッフのみんなで成形しました。もっと本格的なパンを作りたいと思っていましたが、とにかく忙しかったです。自宅とお店は離れていましたし、仕事が終わったあとは100%外食でした。商店街の飲食店に出向いては、「今度パン屋をはじめまして…」と話したのをきっかけに顔なじみになっていきました。商店街に溶けこめたのはこのおかげかもしれません。今でも土日に世田谷から1時間以上かけてパンやサンドイッチを買いに足を運んでいただいています。

想いを込めたお店でおいしい食事パンの食べ方を伝えたい


 移転のきっかけは、50歳60歳になったときに梅ヶ丘で今のまま忙しく過ごす将来像が考えにくかったのと、もっと選択肢があるのではと思ったことです。お店と自宅が同じ場所で自由に行き来したいと思っていました。最初は鎌倉を探していましたが、物件が高いのと住宅専用など条件付きで商売できないところが多かったので、東京近郊で探しなおしたところ、この土地に出会いました。5月に見に来たのですが、新緑のきれいさと川沿いという立地が気に入り決めました。川が見えるカフェスペースを作ろうと思いました。建物はアルザス風にしたくて、大工の棟梁と話し込みました。カフェテーブルが買えなくて相談したところ14人掛けの長テーブルを持ってきていただき、棟梁からお借りしています。天井は水門みたいな輪を描きたくて、自分で塗りました。タイルには家族でイラストを書きました。照明やカーテンなどはIKEAで購入しました。想い入れのあるものばかりです。
 パンについては梅ヶ丘からそれほど手を入れていません。数は今の方が少なく、40アイテムほどです。レシピはほとんど変えていません。移転には覚悟が必要だったのではと言われますが、おいしいものを丁寧に作っていればどこででも受け入れてもらえると思っています。今はランチのスープメニューも開発しています。パンのおいしい食べ方を知ってほしくてカフェをつくりました。だからパンを食べてもらうためのメニューをつくっています。パンは盛り合わせで提供しおかわり自由です。食べて気に入ってもらったパンは買っていただけるので、少しずつですがベルリーナ・ラントブロートなどのライ麦パンもリピートしていただいています。

前編 後編
TOPに戻る