竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-対談 店主の人柄が生み出した地域に愛されるベーカリー~謙虚な姿勢の奥にある熱い想い~ peu frequente (プーフレカンテ) 狩野 義浩さん

「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」。今回お話をお伺いしたのは、愛知県名古屋市にある「peu frequente (プーフレカンテ)」のオーナー・狩野(かのう)義浩さん。人気の食パン「パン・ド・ミ」は1日300本以上売れるという人気店です。狩野さんがパンの道を志したきっかけ、そして人を惹きつけて放さない彼が焼き上げるパンの魅力とは何なのか、お話の端々で感じられる人柄からその答えは自ずと見えてきました。

前編 後編

料理に菓子、接客まで。パン職人として理想的な修業時代







竹谷
 本日はお忙しいところ、お時間をいただきありがとうございます。
狩野
 竹谷さんとこうしてお話させていただく機会をいただけて大変ありがたく思っています。
竹谷
 早速ですが、狩野さんがパン職人になったきっかけは何だったのでしょうか?
狩野
 元はフレンチの料理人を目指し大阪にある日本調理師専門学校に通っていました。私の父は和菓子職人で、子どもの頃は父の仕事を地味だなと思っていましたから、まさか自分自身が同じ職人という道を歩むことになるとは当時は思ってもいませんでしたね。
竹谷
 フランス料理にパンはなくてはならない存在ではありますが、学校でなにかパンに触れる機会があったのでしょうか?
狩野
 学校カリキュラムの中に「ビゴの店」のフィリップ・ビゴさんが講師を務める授業がありました。その授業がきっかけで、ビゴさんのつくるパン、そしてパンづくり自体に興味を持つようになりました。
竹谷
 それで学校卒業後すぐに「ビゴの店」に入社する訳ですね。
狩野
 「ビゴの店」では7年間お世話になりました。その後、1年間長野県白馬村のペンションで接客を学び、5年間はフランス菓子店、その後5年間「魔法のぱん」(現在は閉店)で働きました。「魔法のぱん」では、愛知県東海市の店舗立ち上げに店長として携わることもでき、大変勉強になりました。
竹谷
 長い修業期間ですが、パン職人として理想の経歴と言えますね。
狩野
 さまざまな経験をさせていただけて、本当に感謝しています。しかし今、当時を振り返ってみると自ら進んで学んだ時間はほんのわずかで、もっとやれることがあったなと反省する部分も多いですね。
竹谷
 狩野さんの反省するお気持ちもよく分かりますが、料理、パン、菓子そして接客に至るまでベーカリーオーナーに必要とされる全ての経験を積んできた経歴は立派だと思います。
狩野
 何をするにしても不安がつきまとう性分なので、本当に日々勉強は欠かせません。今でもできる限りスタッフを連れて講習会にも参加するようにしています。

やれることは全てやってきた。開業当時を振り返り見えるもの







竹谷
 独立し「peu frequente (プーフレカンテ)」をオープンされたのは2000年ですね。
狩野
 37歳の時でした。とにかく近隣住民の方々に喜んでいただける店にしたいという想いでオープンしたので、今以上に寝る間も惜しんで働いていました。
竹谷
 具体的にはどのようなことを行ったのでしょうか?
狩野
 とにかくお客様からの要望には全て応えるようにしていました。「こんなパンが食べたい」と言われればつくり、「パンを深夜2時に受け取りたい」と言われれば深夜にお渡しするなど、とにかくできることはすべてやっていました。
竹谷
 そういった努力が地域の人に受け入れられ、今や全国的に有名なベーカリーとなっている訳ですね。
狩野
 ありがたいことに、今では1日300~400人のお客様に来店いただいて、その8割が固定のお客様です。
竹谷
 現在アイテム数はいくつありますか?
狩野
 120~130種類ほどでしょうか。食パンだけでも7種類ありますね。今販売している商品の中にはお客様からの要望でつくったアイテムが人気となって定番化したものもありますし、今でも一人のお客様だけのために焼いているアイテムもあります。
竹谷
 やはり「peu frequente (プーフレカンテ)」と言えば食パンですよね。予約は1ヶ月待ちと伺いました。すごい人気ぶりですね。
狩野
 「パン・ド・ミ」は1日300本焼き上げています。そのうち8割が予約で完売し、2割は当日注文販売分としています。以前は2ヶ月もお待たせしてしまうこともあったのですが、今はやっと1ヶ月待ちまで縮めることができました。
前編 後編
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