パン屋さんで活躍する女性たち パンとお店と“私”のストーリー

VOL.50 東大阪の隠れ家的なお店から、イタリアの美味しいパンを日本中に広めたい Panetteria Ottimo Massimo(パネッテリーア オッティモ マッシモ)オーナーシェフ 吉村 有紀子さん

Panetteria Ottimo Massimo(パネッテリーア オッティモ マッシモ) オーナーシェフ 吉村 有紀子さん

よく注意して探さないと見過ごしてしまいそうな小さなパン工房。酒蔵風の立派な外観のそば屋の裏手にあるのが、私の店「パネッテリーア オッティモ マッシモ」です。売り場スペースは小さいですが、大好きな北イタリアのパンと焼き菓子を並べています。「オッティモ マッシモ」という店名は、修業先で出会った黒猫の名前から。イタリア語で「極上・最大」の意味を持っています。イラストでは太っちょですが、本当はスリムできれいな猫なんですよ。

最初から将来は独立しようと考えていたので、「20歳までにイタリアへ行く」と決めていました。勤めていた店の新店オープンが無事に終わり、お正月に1週間の休みがもらえたので、自由行動の多いツアーを見つけて参加。初めての海外一人旅は19歳の時でした。イタリア中のパン屋をめぐり、レストランでパンを食べまくり、北イタリアのパンの美味しさに感動した1週間でした。

では、なぜ行き先がイタリアだったのか?私がパンを学んでいた専門学校の先生の「イタリアのパンはまずい」という言葉が気になっていて、あまのじゃくな私は「食を愛するイタリア人がつくるのに、まずいはずがない」とイタリアのパンに興味がわいてきました。実際に食べてみると、とても美味しかったし、「イタリアのパン」なら、他にはない自分らしさが出せるのでないかと考えたのです。

フレンチのフルコースは、北イタリアのピエモンテ州の貴族の習慣がルーツだと言われます。イタリア人にとって、食卓は人とかかわるための大切な場所。イタリアでは食卓の名脇役としてパンがとても大事にされており、種類も豊富です。
けれどイタリア人は「自分の故郷が一番」と信じているので、あまりよそのものには手を出さないんです。イタリア国内の20州それぞれに独自のパンがあり、食文化があり、日本に知られていない美味しいパンが、まだまだたくさんありますよ。

私は自営業の両親のもとで育ったので「手に職をつけるのはいいことだ」と、パン職人になることはまったく反対されませんでした。自分では覚えていませんが、幼稚園のころから「パン屋さんになる」と言っていたそうです。父がそれまで営んでいた酒屋からそば屋に転業、今は兄がそば屋を継いでいます。そのそば屋の一部を借りて、私がパン屋を開いています。

早く一人前になりたかったので、高校へは行かずに製菓専門学校に入学。中卒で入ったのは私を含めた3人だけでした。まず製菓コースで1年、製パンコースで1年勉強しました。製菓コース在学中は、実技だけでなく学科の勉強もたいへん。実技以外にも栄養学や法律など、幅広く学びました。

製菓衛生師という資格があるのですが、受験には2年の実務経験が必要。けれどその専門学校では1年で受験資格が与えられ、製パンコース在学中だった私は、1回目で最年少合格することができました。この資格は今でも役に立っています。
悲しいことですが、最近は食の安全に関する事件が後を絶ちません。なぜ、そんなことが起きるのか?不思議で仕方ありません。私は作業が終わったらその都度キレイに拭いたり、天然酵母の種つぎをするときはアルコール消毒を欠かしません。お客さまの口に入るものを、つくっている職人の最低限の努めだと思うんです。

専門学校を卒業後、京都のベーカリーで働きました。京都では一人暮らしをしていて、いろいろなパン屋めぐりを楽しみました。2軒目に働いたのは、お店の雰囲気が良かったフリアンディーズ。そこでサンドイッチづくりのアルバイトから始めました。社長は九州から出てきて、私と同じく10代から働いていた方。私は社長から直接、生地の折り込みを教わることができ、「なんて幸運なんだろう」と今でも感謝しています。
サンドイッチづくりはパートさんたちに教わりました。指導は難しかったけど優しい人たちで、大津に新店舗をオープンするときには「専門学校も出てるし、免許も持ってるし…」と、全員で私を推薦してくれました。おかげで大津店のオープニングスタッフを経験することができました。

パンへのこだわり

旅行から帰った私は、本格的にイタリア修業に行く準備を始めました。インターネットで伝手を探して、イタリア料理のシェフとコンタクトのとれる人を紹介してもらいました。そのシェフの友人がリカルド・リチォーネ氏、私の大切な師匠です。私のイタリア修業は、トリノ市郊外のリカルド氏の店からスタートしました。
リカルド氏の店が夏休みの間には、イタリア版ミシュラン『ガンベロロッソ』に載るほどの職人・ジャンフランコ氏の店でも経験を積むことができました。
そろそろ帰国しようとしていた矢先に、パン大会の練習に行ったリカルド氏がひじを骨折してしまい、それから約1ヵ月間、私ひとりで店をやったことがありました。お客さまもシェフと同じ味だと認めてくれ、シェフのご家族からも店を閉めずにすんだと感謝されました。

一度日本に帰国した後、再びイタリアへ。ジャンフランコ氏の店でさらに修業を続けました。イタリア版ミシュランに載るほどの職人で、「人生は楽しむためにある。愉快に、プラス思考で」という方でした。私は嫌なことを引きずるタイプなので、師匠とは意見が合わないこともありましたが、「イタリアはすべてが可能である、失敗を恐れずチャレンジしていいよ」という言葉に励まされて勉強を続けました。その後、飾りパンの権威・スイス人巨匠のオリビエ・ホフマン氏にも教わるチャンスに恵まれました。
さらに世界初のパン大会の初代優勝者、エッツィオ・マリナート氏のもとへ。マリナート氏は、ジャンフランコ氏曰く「世界一美味しいパンをつくる人」。ひいおじいさんの代からパン屋を営んでいて、びっくりするくらい素晴らしい人物でした。「真摯に真面目に」がモットーで、ひとつ質問したら100の答えが帰ってくるような方。今も世界中を指導に飛び回っています。
私も微力ですが、イタリアで修業したことを日本に広め、イタリアのパンの魅力を多くの人に伝えたいと考えています。

厨房はひとりで仕事に没頭できる場所。集中していると寂しくないですよ。 あまりたくさんの商品は置いていませんが、予約をいただければ、お好きなパンをご用意します。 北イタリアの郷土菓子にも力を入れています。日本では手に入りにくいものもありますよ。 本物に近いオッティモマッシモ(黒猫の名前)のイラスト。私が猫好きなせいか、お客さまにも猫好きな方が。

女性ならではの苦労

日本にいるときは、女性だからというだけでなく、いろいろ苦労がありました。けれどイタリアでの最初の師匠リカルド・リッチョーネ氏は、日本から来た私にとてもよくしてくれました。リカルド氏はアメリカで働いた経験があったので、日本人の女の子でもOKと私を受入れてくれたのだと思います。初めて師匠に会った日、ローマで40年ぶりの雪が降り、電車が2時間遅れたんです。それでも駅でずっと私を待ってくれていて、初めて見る私に「ハイジみたいな女の子がやって来たぞ。きっと2週間で帰るだろうな」と思ったそうです。

師匠の予想は見事に外れ、24歳で帰国するまで、イタリアで4軒、スイスで1軒のベーカリーで修業することができました。リカルド氏は私の帰国後、2016年1月にイタリア・リミニで行なわれたパンの世界大会で優勝したんですよ。
日本にいるときから独学でイタリア語を勉強していましたが、最初は頭が真っ白になって出てこなかったですね。でもパンの専門用語はフランス語が多くて、専門学校で習っていたフランス語が会話の中に出てくるのを頼りに、なんとか通じるようになりました。

リカルド氏には人間的な影響を受けました。嫌なことはイヤと言え、疲れたら疲れたと言えと。日本の固定概念に縛られていては幅が広がらない、日本人を辞めろ」とも言われました。でも本当に優しい人で、毎朝2時から仕込みをするのですが、師匠は私が住んでいた家まで車で迎えに来てくれていました。ピエモンテ州はイタリアの北西の端にあるのですが、早朝というか深夜に東洋人の女の子を乗せて走っていたので、よく国境警察にビザを見せるように言われましたね。

今もお世話になったシェフたちとは交流があります。エッツィオ・マリナート氏は三つ星レストランにパンを卸している職人で、日本でもある企業のパンを監修しています。マリナート氏が日本に来られたときには、私が通訳・技術補助としてお手伝いすることもあります。マリナート氏にお会いすると「トップレベルの人はこうなんだ!」といつも感心させられてしまいます。

どんなお店にしていきたいですか?

帰国後、約1年間かけて準備をして、2014年にこの店をオープンしました。うちでは小麦の豊かさを最大限に活かす天然酵母を使用しているので、種を仕込んだ前生地を一晩休ませる、という3日間の工程が必要なんです。しかもイタリアパンの天然酵母は、温度が1℃変わっても死んでしまうデリケートなもの。ですから365日、様子を見てやらなければならないのです。

天然酵母を使うパン屋さんはたくさんありますが、特別なものをつくりたいと考えていた私は、そば粉に目をつけました。そばのワインがあることを知って、それなら天然酵母がつくれるかもと考えたのです。何と言っても兄のそば屋から、いくらでもそば粉が手に入りますしね。そば粉は難しいけれど、師匠のエッツィオ氏の酵母もそば粉と同じくミネラルや食物繊維が多いライ麦だったと、試行錯誤してそば粉の天然酵母を完成させました。
しかし、そば粉でおこした天然酵母はすっぱくなりやすいんです。管理の仕方がひとつでも違うと酸味が強くなってしまうので、とても気を使います。けれど、きちんと管理をしてやれば、酸味のない美味しいパンが出来上がります。イタリアのパン職人は夏のバカンスで2週間くらい休むのですが、パン職人たちは半分の酵母は自分の冷蔵庫に、残りの半分は信用できるパン屋に預けておくのだそうです。

私がパン職人を目指すようになったきっかけは、母がつくったキャロットブレッド。ニンジン嫌いの兄の友だちがそのパンを「美味しい」と食べてくれたんです。それ以来、ニンジンが食べられるようになったそうです。この経験が、現在のフルオーダー対応につながっているのかもしれません。いろいろなアレルギーを持った方にも喜んで食べてもらえるよう素材を工夫したパン、これが私のテーマのひとつです。

もうひとつはイタリアの味を楽しんでもらえるパンと焼き菓子。イタリア人のお客さまからも、本場のイタリアパンが食べられると好評です。
製造から販売まで、一人で切り盛りしているので、週に一度の徹夜がしんどいですが、お客さまとつながることのできるパンづくりを、これからも続けていきたいと考えています。
オーブンを新調したので、作業効率もUP。今まで受けられなかった注文にも応えられるようになりました。卸の仕事も多いので、店にはたくさんのパンは並べられませんが、予約してくだされば可能な限り対応していきます。

「お近くにお越しの際は是非お立ち寄り下さい!」

吉村 有紀子さん お気に入りのパン

コルネット 240円(税込) コルネット 240円(税込)
フレッシュレモン、バニラなどが入ったイタリアのクロワッサン。バターを折り込んでつくるのは同じですが、フランスのものとは生地が違います。うちでは自家培養酵母を使用して、3日間かけてつくっています。イタリアの恩師・リカルドシェフ直伝の本場の味をお楽しみください。

パネットーネ 500円(税込)~ パネットーネ 500円(税込)~
イースター前後の3~4月、クリスマスの11~12月の期間限定商品。天然酵母100%でイーストは使っていません。シェフに教わった伝統的なつくり方を守っていますが、日本はイタリアより湿度が高いので、湿度・温度管理が大切。私の体調によっても味が変わるデリケートなものですが、ひと口食べたらその苦労が報われます。レーズン、オレンジピール、チェードロが入ったものが定番ですが、ビターチョコ、ベリー系などのバリエーションがあり、今年からリンゴ&チョコも増える予定です。

パスタ・ディ・メリガ 5枚350円(税込) パスタ・ディ・メリガ 5枚350円(税込)
ピエモンテ州の郷土菓子。とうもろこしの粉を使ったクッキーです。イタリアではみんなが知っているお菓子で、当店でも不動の人気No.1。コーングリッツのザクザク、プチプチとした食感に、バターの風味がよく合います。イタリアの朝食はクッキー数枚とコーヒーか牛乳なんですが、パスタ・ディ・メリガも定番メニューです。クッキーの概念を覆す味で、バタークッキーが苦手な人も食べられます。

店舗情報

 

店名/Panetteria Ottimo Massimo
(パネッテリーア オッティモ マッシモ)
郵便番号/〒577-0056
所在地/大阪府東大阪市長堂1-29-12
最寄駅/近鉄奈良線、大阪線・布施駅
アクセス/布施駅中央出口から北へ、徒歩約10分。長堂1丁目交差点にある手打ちそば屋「庵」の裏手
電話番号/090-3994-3888
営業時間/9:00~21:00(売り切れ次第閉店)※水曜は15時までの営業
定休日/月曜日

※店舗情報及び商品価格は取材時点(2019年10月)のものです

<オススメパン> グリッシーニ トリネーゼ 300円(税込) バーチ ディ ダーマ 1袋 450円(税込) 塩フォカッチャ 120円(税込)

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