竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦
願いはひとつ「おいしいパン」を届けたい
~修業時代と苦節の3年間があったからこそ今がある~
 デイジイ 倉田 博和さん

「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」、今回は埼玉県川口市内に5店舗、蕨市に1店舗を展開している「デイジイ」代表・倉田博和さんにお話しを伺いました。修業時代の経験や、独立後の苦労、人気商品「クロワッサンB.C.」をヒット商品に育て上げた、倉田さんのパンづくりに対する想いなどを語っていただきました。

前編 後編

技術だけでなく心も鍛えた修業時代





竹谷
 本日はお忙しいところ、お時間いただきありがとうございます。
倉田
 いえいえ、しっかりとお話する機会をいただけてありがたいです。
竹谷
 早速ですが、パン業界に入ったきっかけをお教えください。
倉田
 実家や親戚がパン屋だったのが一番の理由です。私自身も何かを作って、人に喜んでもらう事が好きだったので、パン業界に自然と入っていました。
竹谷
 高校卒業後はどのような経験をされたんですか?
倉田
 日本菓子専門学校を卒業した後、京都の「ローヌ洋菓子店」で5年間修業しました。洋菓子店でしたがパンも扱っていました。ケーキとパン両方学べる環境がとてもありがたかったですね。
竹谷
 とても厳しい修行時代だったと聞いております。
倉田
 厳しいと聞いていて覚悟して行ったこともありますが、「実家に帰ったらこんなパンが作りたい」「こんなパンなら売れるのでは…」など夢を描きながら働いていたので、まったく辛さを感じませんでした。
竹谷
 そんな修業時代にお世話になった人はどなたですか?
倉田
 やはり「ローヌ洋菓子店」社長ですね。ある日、私の管理していた商品が原因で、お店にクレームが入ったことがありました。その時、社長が私と一緒にお客様へ頭を下げてくれたんです。今となっては社長の立場も理解できますが、その時はグッとくるものがありましたね。本当に感謝しています。
竹谷
 5年の修業を終えた後はどうされたんですか?
倉田
 西船橋にある親戚のパン屋で1年間働かせていただきました。製造に関しては5年間の修業で学べたのですが、お店の経営部分には自信がなく、そのあたりを叔父に教えてもらいましたね。

独立後の苦労を乗り越え見えたもの



竹谷
 西船橋を経て、西川口店をオープンしたんですね。
倉田
 はい。西川口店を軌道にのせるのには本当に苦労しました。5年間の修業と1年間の経営面の勉強から、なんでもできると思い込んでいたんですね。実際に自分の店をオープンして、理想と現実の差に気がつきました。まったくパンが売れなかったんです。
竹谷
 軌道にのるまでには、どのくらいかかりましたか?
倉田
 3年はかかりました。その頃29歳。結婚して、子どもも生まれた時でした。ただ子どもの存在は励みにもなりました。「ここでくじけるわけにはいかない」「ちゃんとしなくては」と家族のためにも頑張りましたね。
竹谷
 つらい時こそ、家族の支えは大きいものですよね。
倉田
 ただ、うまくいかないのも当たり前だったんです。その頃の私は、経営面だけに目がいってしまっていて、「お客様のためにおいしいパンを作る」という一番大切なことをおろそかにしていました。渋い顔をしてお店に出ていたり、もったいないからと焦げたパンを店頭に並べたり…そんな積み重ねが結果的にお客様を遠ざけていたんです。
竹谷
 その事に気がついてからはどんなことに気をつけたんですか?
倉田
 常に「お客様に喜んでもらうにはどうしたらいいか」「どうしたらおいしいパンが作れるのか」などいつも自分に課題を与えて、ひとつひとつ解決していくようにしました。また小さな事ですが、店内では笑顔でテキパキと仕事をするようにしました。
竹谷
 当たり前のことかもしれませんが、見失いがちなとても大切なことですね。そんな経験から今があるんですね。お店に並ぶパンはどれもリーズナブルでおいしそうです。
倉田
 ありがとうございます。なるべく気軽に購入してもらえるように、最低限の価格を設定しています。
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