竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-対談vol.21
パンの可能性を広げ続ける気鋭のシェフ~多様なニーズに応えるチカラの源を探る~
ブーランジェリー レカン 割田 健一さん

「竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦」、今回は2014年12月にリニューアルオープンした「ロテスリー レカン」に併設する「ブーランジェリー レカン」の割田シェフにお話しを伺いました。2011年に銀座レカンのブーランジェシェフとして、新たなスタートを切った割田シェフの過去と現在から、パン作りに対する熱い想いを紐解きます。

前編 後編

刺激あふれる厨房に魅せられて





竹谷
 本日はお忙しいところ、お時間いただきありがとうございます。
割田
 このような機会をいただけて大変ありがたく思っています。本日はよろしくお願いします。
竹谷
 早速ですが、パン職人になったきっかけを教えてください。
割田
 私は、さまざまなアーティストやミュージシャンに憧れていました。何かを作ることも好きだったので高校卒業後、美大に進学したいと思っていました。しかし、高校3年間あまり勉強してこなかったため、大学に行ける状況ではなく…浪人して大学に行くか、就職するか悩みました。
竹谷
 そこからどのような経緯でパン職人という道に?
割田
 近所の会計事務所のお兄さんが、その時ちょうど外交官としてスイスで働いていました。その方に相談の手紙を出してみたところ、やりとりの中で、手に職をつけるのはどうかと言われ、パン屋さんになってみようと思ったことがきっかけですね。最初は3ヶ月でも続けられればという軽い気持ちでした。
竹谷
 就職先としてプランタン銀座の「ビゴの店」を選んだのはなぜですか?
割田
 叔母に「銀座においしいパン屋さんがあるよ」と教えられたお店が「ビゴの店」でした。高校3年生10月に面接に行ったことは今でも覚えています。
竹谷
 「ビゴの店」で一からパン職人の知識を学んだんですね。
割田
 はい。製パン技術だけでなく、本当に何もかも「ビゴの店」で教えてもらいました。当時の上司の方々には、色々な事を教えて頂き、鍛え上げられた14年間でした。今後、どんな壁にぶつかっても乗り越えられると思います。
竹谷
 修業時代に苦労したこと、大変だったことはありましたか?
割田
 大変だと思ったことはありませんでした。強いて言えば、当時は元旦の夜から仕事でしたので、大変というか何となく、切ない気持ちになったのを覚えてます(笑)。ただ本当に自分は将来パン屋さんになれるのだろうかと、悩みはつきませんでしたね。
竹谷
 パン職人を続けていこう、と思ったのはなぜですか?
割田
 パン屋の厨房は、いつでも本気なんです。礼儀正しく、色々な事が起き、それに対応していかなくてはならない、そういった刺激的な環境が自分に合っていたのだと思います。

ゼロからのスタート。レカンでの挑戦





竹谷
 14年9カ月勤めた「ビゴの店」を辞め、レカンへと転職されたんですね。
割田
 本当にお世話になったお店ですが、勤めている時から常に変化していきたい、自分のパンを作りたいと思っていました。そんな時にレカンの話をいただいたんです。今まで習ったことは一度全て捨てて、ゼロからスタートしようという気持ちで挑みましたね。
竹谷
 今までの経験を活かすというのではなく、全て最初からやり直したというのは大切なことですね。レカンのお話のどんなところに魅力を感じましたか?
割田
 2014年12月にオープンした「ブーランジェリー レカン」ですが、元々この場所には「ロテスリーレカン」という老舗レストランがありました。その老舗レストランでパン部門を立ち上げないかというお話にとても興味が湧きましたね。
パン部門を作るから人を探しているというのではなく、私が入ったらパン部門を立ち上げるという部分にも非常にやる気をそそられました。自分のパンを作るいい機会だと思ったのです。
竹谷
 オープンまでに苦労したことはありましたか?
割田
 苦労とは思いませんでしたが、最初の半年は小さなオーブン1つしかありませんでした。そういった状況から地道に勝負できたのも楽しかったです。
竹谷
 レカンをどんなお店にしていきたいと思っていますか?
割田
 「小麦粉の香りがするお店」「銀座という場所に合うパン」「創業40年のフレンチレストランとしてのパン」という3つの目標があります。その目標をクリアしながら「割田のパン」という部分をいかに出していけるかを常に考えています。これだけ多くのパン屋さんがあるので右にならえはしたくないですね。
竹谷
 そうですね。アイテムの数はいくつありますか?
割田
 約40種類です。進化をしながら、選りすぐっていきたいと思っています。
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