竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-vol.5 誰が食べてもおいしいパンを 夫婦二人で築き上げていく理想のベーカリー ブーランジェリー スドウ 須藤 秀男さん 枝里子さん

前編 後編

洋菓子屋さんよりおいしい焼き菓子のあるベーカリーを目指して

 この世界に飛び込んだのは、19歳のころ。最初の1年間はメゾン・ド・プティフールで修行しました。その後も、ペルティエ、ジョエル・ロブション、マリアージュ・ドゥ・ファリーヌと、パンと本格的なお菓子を扱う店で修行しました。それが今の自分に大きな影響を与えているのだと思います。
 35歳までに独立することは決めていました。体力的なことを考えても、それまでに独立しなければ厳しいと考えていたからです。働きながら、常に、自分が独立するときに必要なスキルを身につけるということを意識していました。自分の目標に向かって、計画的に経験を積んできたと思います。ペルティエ時代に出会った心から信頼できるパートナーと二人で決心して、独立しました。目標としていた、35歳のことでした。

落ち着いたたたずまいのブーランジェリー スドウ

 パンとお菓子の店にするということは、最初から決めていました。お菓子が大好きだったのと、最初に経験したお店がヴィエノワズリーと焼き菓子の専門店だったことが影響していると思います。メゾン・ド・プティフールでヴィエノワズリーを食べたときは、そのおいしさに感動しましたね。それから様々なベーカリーを食べ歩きするようになって、どんどんパンの魅力を感じるようになっていきました。その頃感じたのは、パンも焼き菓子もきちんと修行しておいしいものを出すお店はなかなかないということ。だったら自分は、パンとお菓子を1:1で、どちらも本当においしいものを出すお店を持ちたい、そう考えるようになりました。どちらも手を抜かずに本当においしいものをと。パンがあって、焼き菓子があって、生菓子があって、ジャムがある。少しずつではありますが、そんな理想の店作りに向かって進んでいます。

すっきりした店内に、パンと焼き菓子が並ぶ きれいに形作られた商品たち。どれも魅力的で見移りしてしまう

ベーカリー激戦区、世田谷への出店

竹谷さんとのパン談義もはずむパンづくりについて熱心に話し込む須藤夫妻と竹谷さん

 世田谷のこの場所を選んだのは、自分たちのなじみのある場所でやっていきたいという思いがあったから。今まで経験してきた店はみな世田谷周辺にあったので、出店するなら世田谷という思いはずっとありましたね。物件は、出店する一年以上前から探していました。この物件は、広すぎるのと、家賃が高かったのとで一度諦めていたんです。決まりかけていた別の物件が突然だめになってここにしたのですが、今ではこの場所でよかったと思っています。世田谷線松蔭神社前駅の目の前にあり、電車の中からもうちの看板を見て気にしてきてくれるお客様も多い。広い分家賃など大変なこともありますが、ちょっと背伸びをしてでもこの物件を選んでよかったと思っています。

 2009年10月のオープン当初は、ここまで多くのお客様に来てもらえるとは思っていませんでした。チラシを配ったりポスターを貼ったりもしましたが、それも1日だけ、町内だけのことでした。運も良かったと思います。お店の周辺にジャーナリストの方が多く、そういった方が情報発信してくれたことで、早くから多くのお客様に知っていただくことができました。また、ベーカリー激戦区といわれる世田谷に出店したことも良かったのだと思います。パンへのアンテナが高い方が近所に多く住んでいますし、パン屋めぐりツアーのコースに組み込まれることもあります。ベーカリー激戦区の中にあるからこそ、早くから多くのお客様に知っていただけた。それが、オープンしてすぐにたくさんのお客様に来店いただけた理由なのかと思います。

夫婦二人で補い合いながら作り上げていく

ダンスをしているように、リズム良く作業が進められていく。厨房でも笑顔が絶えない野菜がごろごろ入った季節野菜のフォカッチャや、たっぷりのチーズが練りこまれたダンドゥーなど、具沢山の食事パンは形も個性的

 パンの作り方は夫婦で正反対ですね。私は感覚的にパンを作ることが多いんですが、妻は理論的。きちんとデータを取って計画的に作ります。新しいパンを考えるときは、妻が生地を考え、私が形を考える。自然と、役割分担ができているんですね。こうして夫婦でパン作りに対する姿勢が違うからこそ、二人で補い合いながらやってこれたのかなと思います。
 スタッフの教育方針も、私と妻では全く異なります。背中を見て覚えろ、技は盗め。私はそんな環境で経験を積んできました。だからでしょうか、自分自身、人に教えるということは得意ではないんです。でも今は、そんなことを言っていると続かない子も多い。その点妻は、教え方がうまいんです。だから人材教育は全て妻に任せっぱなしですね。

枝里子氏:
 私自身も、シェフの下で働いていたときにはそういう教育方針の中で経験を積んできました。見て、自力で覚える。そのために努力するのは当たり前。お店をオープンしたばかりの頃は、そんな教育方針でいいと思っていました。でも、最近は考えが変わってきました。きちんと伝えなければ、理解してもらえないと思うんです。自分の店できちんとおいしいものを出すためには、私たちが何を大切にしているかわかってもらわないといけない。そのために自分たちの思いをきちんと伝えていくことが大切なんだと思います。私が昔教えて欲しかったことを教えてあげられるように、試行錯誤しながらやっています。
 商品作りに関しては、シェフの考えることを先回りするようにしています。シェフは、考えていることを言葉にするのが苦手なので。今では私のほうがシェフのやりたいことをわかっていると思います。やりたいことを常に共有できているから、オープン当初から二人でぶれずにやってこれたのだと思います。

誰が食べてもおいしいと思えるパンを

 二人のなかで、やりたいことはオープンした頃から決まっていました。シンプルに、おいしいものを。見た目も良くて、味もいい、誰からもおいしいと思ってもらえるパンを作ろうと。だからこそ、生地にはこだわり過ぎないようにしています。特別な材料も使いません。パンの知識がない人が食べてもおいしいと思えるパンを作りたいんです。説明なしで誰もがわかる食パンやあんぱんを看板商品において、それをどこまでおいしくできるか。そんなことを考えながら作っています。
 夫婦そろって、見栄っ張りなんですよね。だからパン作りには一切手は抜きません。もちろん生産性も考えますが、ここを妥協するくらいならやめようというブレーキは持っています。パンはなんとなくでもある程度形になってしまうものだからこそ、ごまかしたくないんです。二人でできる最大のところまでこだわりぬいています。パンの並べ方ひとつでも、常に一番いい顔が見えるように気を配っていますね。

生地も中身もそれぞれ異なる3種のあんぱん。ころんとした形がかわいい

枝里子氏:
 どの商品がお勧めか聞かれたら困るくらい、どの商品にも思い入れがあります。このお店には、自分たちの好きな商品しか並んでいないんです。お客様に特に人気なのは「世田谷食パン」と「世田山食パン」。食パンは、このお店に移ったばかりのときはうまくできなくて。機械や環境が変わったことが大きかったんだと思います。そのときは、すごくあせりました。泣いたときもありましたね。苦労してもう一度作り上げたパンなので、こんなに多くの人に愛されていることは本当に嬉しく思います。

美しくディスプレイされたピッツァ。上の段には、ハード系のパンが行儀よく並ぶ 大人気の「世田谷食パン」(上)と「世田山食パン」(下)。ネーミングもユニーク

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