竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-新春対談vol.13 帝国ホテルをはじめ第一線で活躍されたシェフが焼き上げる至福のロデヴ ボワドオル 金林 達郎さん

前編 後編

パンの配送からはじまり帝国ホテルベーカリー課長まで

竹谷
 金林さんがベーカリー業界に入ったきっかけを教えて下さい。
金林
 私は高校卒業後、メグロキムラヤでパン配送のバイトを始めました。午前午後1回ずつの配送担当でしたが、しばらくして製パンも担当するようになりました。駅ビルの店舗で販売するパンは一部仕入れていましたが、いつの間にか私が殆ど焼いて店舗へ提供するようになりました。その後26歳の頃、浅草橋のドーメルに勤めました。
竹谷
 その頃初めてお会いしましたね。どんな職場でしたか?
金林
 まわりの製造スタッフはとても手際が良く、30年前で1人1時間当たり1万円のパンをつくっていたのですから凄いですね。
デニッシュ、クロワッサン等菓子パン中心で、サンドイッチも相当な量を販売していました。忙しい職場でしたが多くの事を経験する事が出来ました。
竹谷
 その後はタイユヴァン・ロブションで勤務されましたね。
金林
 青山、浜田山のドーメルで勤めた後、タイユヴァン・ロブションの立ち上げに携わりました。
開店に備えフランスで2ヶ月の研修を受けましたが、これまでのパンに対する考え方とは全く異なる経験をしました。
例えば1週間に1回しかパンを焼かず、焼き上げたパンはお客様に提供せず冷凍してしまい、解凍したパンをお客様に提供しているお店があったのは驚きました。同社では1年6ヶ月勤務し、その後帝国ホテルで勤務しました。

帝国ホテルでの経験を活かして

竹谷
 帝国ホテルベーカリー課での勤務は如何でしたか?
金林
 調理部門との連携に苦労しました。ベーカリーには宴会やレストランのメニューが回ってこなかったので、メニューに合わせたパンの提案すら出来なかったのです。シェフ達がベーカリーに顔をだしてくれるようになるまで10年かかりました。
竹谷
 ご苦労されたのですね。
金林
 ホテル内で人を育てるのに時間がかかるので、私のようなスタッフを外から招き入れたのでしょうね。
衝突する事もありましたが、私は段階的に帝国ホテルのパンを変えていきました。
何故この粉を使い何故この配合なのか、という事を考えないスタッフの教育にも注力しました。最近、若いスタッフの学ぶ機会が減っているように思いますが、教える側も教わる側も大人しくなったからではないかと思います。
竹谷
 帝国ホテルで一番印象に残っている仕事を教えて下さい。
金林
 数年に一度、総勢400人の調理スタッフが1,000人を超えるお客様に食事を提供した事ですね。最適な状態の料理をそれだけの人数のお客様に提供出来るのは、帝国ホテルだからこそだと思います。
竹谷
 そのような経験を活かして「ボワドオル」を経営されている訳ですね。
金林
 今は独りでパンを焼き上げるのでかなり大変です。窯は2枚差し3段で、生地玉冷蔵・冷凍や成形冷凍でダイヤグラムを工夫していますが、パン30アイテムに焼き菓子も加わります。
時間に余裕がありません。しかしながら、土日は遠方から来店いただくお客様も多く、中には4,000円お買い上げいただくお客様もいてありがたいですね。最近は近隣のレストランにパンを販売するようになりました。
竹谷
 これから「ボワドオル」をどのようなお店にしていきたいですか?
金林
地元のお客様に愛される店にしていきたいですね。
パンを買いにわざわざ遠出しなくても、「地元のベーカリーが一番おいしい」と思ってもらえるようにしていきたいですね。
金林氏プロフィール

【金林達郎氏プロフィール】
1950年生まれ。高校卒業後メグロキムラヤに入社し、その後ドーメルで勤務した後、タイユヴァン・ロブションのシェフブーランジェとなる。
1996年から帝国ホテル勤務となり、退職時までベーカリー課長を務めた。2002・2005年度のクープ・デュ・モンドでは国内大会の実行委員長、同パリ本大会では日本代表審査員、パン・ド・ロデヴの作り手を支えていく会「パン・ド・ロデヴ普及委員会」では技術顧問などを歴任している。

対談場所

営業時間:9:00~13:00、15:00~18:30(定休日:毎週月曜日、火曜日)

JR千葉駅から外房線に乗車して約20分、5駅目の土気駅で下車すると閑静な住宅街が広がっています。バスに乗り換え、駅前の道路をまっすぐ進んだ住宅街に「ボワドオル」があります。
「ボワ」はフランス語で「林」、「ドオル」は「金の」という意味で、「金林さんの店」を表しています。
駐車場は3台分あり、犬の散歩を兼ねて来店される近隣のお客様も多いようです。 食事パンはお客様がトングでトレーにのせますが、クロワッサンやスコーンなどは販売を担当する奥様が丁寧に取り分けています。
パンの詳細を説明してもらえるので、安心してパンを購入出来る地元のベーカリーとして親しまれているようです。

前編 後編

対談を終えて

金林さん  初めてお目にかかったのがドーメルの社内勉強会においで頂いた時ですから35年くらい前ですね。
その後、ベーカリーフォーラムで毎月一回、15年以上ご一緒させていただきました。そんな長いお付き合いの中で、今日のように長時間お話をしたことが無かったので、楽しい嬉しい時間を過ごすことができました。ありがとうございました。
こんな歳になってから自分でパン屋をやろうと思った最大の原因は、竹谷さんの「つむぎ」を見てしまったこと、また家内が協力してくれると言ってくれたことが大きかったですね。
どうせやるなら住宅街で、一人で作ってちょうど売り切れるくらいのロケーションでと思っていたのですが、上手くいったなと思っています。
この先いつまでできるかわかりませんが、竹谷さんが頑張っているうちはやめるわけにはいかないですよね。
あちこち壊れるような年齢になってきましたので、身体に気を付けてボチボチやっていきましょう。

竹谷さん  2013年11月18日(月)14時31分、土気駅着。金林氏が車で迎えてくれ、早速「土気」の街並みを案内してくれる。さすが、東急が田園調布、ビバリーヒルズを意識して作ったという街並み、道路の広さ、街路樹の美しさ、そして何より1軒1軒の広さと落ち着き(金林氏に言わせると、その分人口密度が薄いとか)そんな住宅街の一角に「ボワドオル」がある。
今日はお店がお休みなので直接、居間に案内される。考えてみるともう30年以上のお付き合いなのに、ゆっくり2人で話し込んだ記憶が無い、いつも数人で「今のパン業界は!」「これからのパン業界は!」「良いパンとは!」「良いお店とは!」・・・とにかくよくお話はさせていただいたのに、2人きりで向かい合ってじっくりという記憶は思い出せない。
早速対談スタート、この業界に入ったきっかけ、ドーメルの林社長との出会い。業界の出世魚と言われた、目黒のキムラヤ、浅草橋のドーメル、恵比寿のタイユバンロブション、そして、16年間定年まで勤めることになる帝国ホテル。伝統の有る職場ほど改革は難しく、調理人がパン屋の厨房に来るようになるまで10年かかったとのこと。
金林氏は全国の製パン技術者、職人から「親方」として慕われ、その辛口の発言は聞く人に強い刺激を与え、その中にある愛情を感じさせる。
退職後、自分の趣味「釣り」を活かせる「土気」に移り住み、ホップ種の食パンとロデヴを焼きたいためにベーカリーをオープンさせ、公務員であった奥様と2人、地域に愛され、必要とされるお店作りをされている。
金林氏はパンと共に言葉の達人でもある、記憶に残る名言をご紹介したい、「焼きたてのパンは必ずしも美味しくは無いよね?」と言う質問に対し「あったかいパンは美味しいのではなく、嬉しいんですよ!」 「ミキシングでは何を見ていますか?」と言う質問には「景色です!」 如何ですか? ものごとの本質を言い当てていると思いませんか。

※店舗情報及び商品価格は掲載時点(2013年12月)のものです

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