竹谷さんだから聞けるパン職人の理想と挑戦-
北海道・道南という土地でこれからも~「親方」と呼ばれた半生を振り返る~
こなひき小屋 木村 幹雄さん

福祉活動のスタート。出会いの全てが宝もの







竹谷
 目標であった障がいをもった人を雇用できるようになったのはいつごろですか?
木村
 5年を過ぎたあたりでしょうか。スタッフを雇い、少し経営に余裕が出てきたころにハンディキャップをもつ人への実習などを始めました。
竹谷
 他のスタッフさんたちと、ハンディキャップをもつ人との雇用条件に差はありましたか?
木村
 同じ時給で働いていただきました。変えたのは働く時間だけです。ハンディキャップのあるスタッフに関しては1日3~5時間の労働としました。
竹谷
 最初に採用されたのは何名ですか?
木村
 スタッフは製造に2名、販売は2名。その内ハンディキャップをもつ人は1~2人という割合でしたね。
竹谷
 今現在もその活動は続けていらっしゃいますか?
木村
 今は1名ですがハンディキャップをもつスタッフが働いてくれています。彼はパソコンが得意なのでショップカードや名刺などの印刷業務は全て彼に任せていますね。
竹谷
 福祉施設で製パン設備があるところは多いですよね。私も2カ所の福祉施設でお手伝いをすることがあります。
木村
 今はハンディキャップをもつパン職人が参加できる全国コンクールも開催されていますよ。そこに出場しているメンバーに知っている顔を見つけると嬉しいですね。
竹谷
 このような活動をされてきた木村さんの目指すところとはなんだったのでしょう?
木村
 私は繁盛店であり、町に必要とされるパン屋であれば誰が働いていようが関係ないという状況を作りたかったんです。
竹谷
 今でもパン屋の主目的は福祉ですか?
木村
 今は先ほど話しに出てきた1名だけ雇用しています。息子へ店を引き継いでいますし、やり方は息子に任せていこうと思っています。
竹谷
 パン業界のなかでの出会いとして、この人に出会えたのは大きかったという人はどなたですか?
木村
 たくさんいらっしゃいます。師匠である『ブルクベーカリー』の竹村克英さんはもちろんですが、やはり『ベーカリークラブN43°』の会長を務めていた故渋谷英樹さんとの出会いは大きかったですね。
竹谷
 その出会いをきっかけに『ベーカリークラブN43°』に入り、様々な人と出会ったんですね。
木村
 はい。渋谷さんと出会っていなければ、『ボワドオル』の金林達郎さんや、『ベッカライ ブロートハイム』の明石克彦さんとも出会うことはなかったかもしれません。本当に感謝しています。
竹谷
 その他にも良い出会いはありましたか?
木村
 食に関するさまざまな人たちと出会えたことですね。そういった出会いから「世界料理学会 in HAKODATE」にも参加しています。
竹谷
 「世界料理学会 in HAKODATE」ではどんな活動をしているんですか?
木村
 気鋭の料理人たちが学会スタイルで発表やトークセッションをする講演会を函館で行っています。今までに5回開催されています。『シニフィアン-シニフィエ』の志賀勝栄さん、『アルケッチャーノ』の奥田政行さんなど日本の料理界のそうそうたるメンバーが参加していますね。

お客様に教えてもらった大切なこと







竹谷
 今まで27年間パン職人を続けてきて一番記憶に残っていることはなんですか?
木村
 考え方を変えてくれたのは2人のお客様でした。最初は、ある日おじいさんがやってきて「おばあさんはジャムパンが好きなんだけど、糖尿病を患っているんだ。医者から1日1個ならジャムパンを食べてもいいと言われたから作ってくれないか。」と相談にやってきたんです。当時、店ではジャムパンは作っていませんでした。
竹谷
 どのように対応されたんですか?
木村
 お客様がどうしても食べたいと求めるものを地域の店として作っていくのがパン屋という仕事なんだなと思い、ジャムパンを作ることにしました。
竹谷
 もう1人のお客様のお話はどのような出来事だったんですか?
木村
 100%カボチャピューレという餡が発売されたことがあり、これはおいしいに違いないと早速使ってデニッシュを作りました。購入してくれた人に後日感想を聞いたのですが「旨くないな…1回霜がたっているだろ」と言われてしまったんです。要するに冷凍したカボチャということがお客様にはわかったんですね。この辺りには本当においしいものを知っている人が多いんです。そういう人たちを中途半端なものでは納得させられないんだなと思いましたね。地元の豊かさに気づかされました。
竹谷
 お客様の言葉でパン屋のあり方、地元のすばらしさを再確認できたんですね。現在、3店舗目となるお店を建設中とのことですね。新しいお店ではどのようなことをやっていきたいと思っていますか?
木村
 現在ある2店舗は全くコンセプトを変えています。七飯の『こなひき小屋』はいい意味での地元のパン、函館の『Pain屋銀座通り』は都会的なパンを提供できるよう心がけています。3店舗目となる建設中のお店では、自分の好きなドイツ系のパンと、大きなパンを切り分けて提供できるようにしていきたいですね。色々な人のパンを食べてきて、どれもすばらしいと思っています。ただ私の好みではないものが多いのも事実です。やはり自分が作るパンが自分にとって一番食べやすいものだと思います。
竹谷
 他に、新しいお店で挑戦しようと思っていることはありますか?
木村
 ずっと北海道の道南という土地でやってきたので、この風土でパンを作りたいと思っています。極力電力を使わずに作る方法を模索しています。
竹谷
 それは大きな挑戦ですね。
木村
 今の世の中を見ていると、グローバル化することが逆に単一化になってしまっていると感じています。地域のコミュニティなどが失われるのは必然になってしまうのではないかと。私はそういう生き方ではなく、この地域、この風土とともに働き続けていきたいと思っています。

プロフィール

【木村 幹雄さんプロフィール】
北海道北斗市出身。1986年に前職である福祉施設を退社。竹村克英さんがオーナーの札幌『ブルクベーカリー』にて1年間製パン技術を学ぶ。1987年9月七飯町に『こなひき小屋』、2005年函館市宝来町に『Pain屋銀座通り』を開業。「世界料理学会 in HAKODATE」の実行委員を務めている。

対談場所

営業時間:8:00~17:00(定休日:日曜)

1987年に創業した『こなひき小屋』は、JR七飯駅から徒歩10分、函館駅からは車で30分ほどの国道5号線沿いにあります。オープン当初から地域の人だけでなく、函館など道内各地からお客様が訪れる人気店。現在は2代目・木村雄介さんが継ぎ、長年愛されるこなひき小屋の味を守っています。「バターぱん」(120円)や「クロワッサン」(150円)、「バタール」(270円)、「くるみ入りライ麦パン(30%)」(120円/100g)など品揃えも豊富。またワインや道産チーズ、牛乳などパンと一緒に味わいたい食材も提供しています。

前編 後編

対談を終えて

竹谷さんと私には「年齢を重ねてから独立開業した」という共通点があります。千葉に店を開いた「日比谷の親方」金林さんもそうですね。このお二人の独立開業は、今の自分の仕事スタイルに合致することが多く、とても勇気づけられました。北海道から軽四で訪ねたものです。
 お二人の辿ったパン店開業の道は、それぞれで異なります。でも、その基盤になっている理念は、まさしく共通するものです。積み重ねてきたパン作りの理念や、お客様へパンを提供することへの想い、それぞれに妥協をしない姿勢。まさにそれが、真っ当・当たり前・適当・当然な仕事に対する姿勢と理念です。また、街のパン屋として、必要とされるパン屋であり、住人であることも同じです。
 お二人に限らず、N43°の講習会で、多くのパン職人の皆さんと一緒にパンを作る機会を得て、皆さんが、この理念をしっかり持ち続けて歩んでいることを学び、自らの道筋の確認をすることができたことは、大きな財産になりました。

竹谷さん 七飯町のお店に伺うのはこれが2度目、前回は家内とお邪魔し大歓迎をしていただきました。それにしても、突然仕事を辞め障がい者の為の職場作りをスタートさせ、たった1年の修業で開店から200名ものお客様を引き付ける繁盛店を作り上げたことに驚きます。ご自分では「楽天的な性格」の一言で済ませていますが、あの明るい笑顔に隠された日々の努力と強い意志が木村さんの魅力であり、お客さまもそれを感じるからこそ遠くからも買いに来てくれるのでしょう。お客様から教えられたことを忠実に守り、本当にその土地・地域に必要なお店を作り上げてきたこと。それをベースに北海道のパン業界、日本の料理業界に貢献し続けていること。そして今回、ご自分の人生の総決算としてご自宅の敷地の中にご自分が理想とするパン屋を立ち上げつつあること。次回3回目にお訪ねする時は集大成のパンとスープをご馳走していただきたいものです。

※店舗情報及び商品価格は掲載時点(2015年10月)のものです

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